【国鉄時刻表】1972年3月 岡山駅山陽本線 JAPAN OKAYAMA station ;SANYO LINE time table 1972

Поделиться
HTML-код
  • Опубликовано: 11 сен 2024
  • 【時刻表の紹介】
    1972年3月ダイヤ改正後
    岡山駅 山陽本線下り 時刻表です。
    1972年3月15日に
    「山陽新幹線」が岡山駅まで開通しました。
    そして1975年3月10日には
    「博多駅」まで開通します。
    その約3年間の短い期間においても、
    岡山駅からの乗り継ぎを考えた様々な列車が設定されました。
    岡山駅始発の優等列車も数多く設定されました。
    当時の雰囲気を味わうための参考としていただければ幸いです。
    ↓チャンネル登録はこちら
    www.youtube.co....
    お借りしたBGM
    フリーBGM DOVA-SYNDROME
    「Luculia」/作(編)曲 : まんぼう二等兵 様
    「神隠しの真相」/作(編)曲:しゃろう 様
    ワスレナグサ/作(編)曲 : まんぼう二等兵 様
    #国鉄 #鉄道 #昭和47年 #日本国有鉄道 #発車時刻表 #時刻表 #東海道本線 #東京駅 #過去鉄 #山陽新幹線 #岡山駅

Комментарии • 95

  • @user-bw9px6pj7q
    @user-bw9px6pj7q 2 месяца назад +1

    私の故郷、心の故郷でもある岡山駅。この当時は栄光の国鉄特急「つばめ号」も新幹線連絡特急として九州を目指していたんですね。
    今では「やくも号」が岡山〜倉敷間を賑わすのみの普通・貨物専用線と為りました

  • @user-xv8wu2um7g
    @user-xv8wu2um7g Год назад +14

    1972年の岡山開業から、1975年の博多開業まで。このころの山陽本線が最後の輝く3年間だったと思います。急行列車、特急列車の本数も充実し、時刻表上も大賑わいで、見ていてワクワクしている時代です。新大阪連絡だった特急の多くが、岡山始発に移行し、新大阪発着も、岡山連絡がメインに。今では想像もつきませんけども。親の実家が山陽本線沿線なので、長いホームが、優等列車の停車駅だったことを物語っています。たった一度でもかまわないからその時代に行ってみたいものです。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +2

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      現在でも残る長いホームが、当時は確かに必要とされていたことがよくわかりますね。新幹線で便利になりましたが、在来線しか存在しない時代の、バリエーションに富んだ列車も魅力的ですね。

  • @くろぶん
    @くろぶん Год назад +14

    いつも素敵な動画をありがとうございます。
    余計な演出がないし見やすいです。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +3

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      また、嬉しいお言葉ありがとうございます。
      シンプルに、そしてわかりやすく情報をお伝えできるように心がけております。
      これからも頑張ってまいります。

  • @user-mg4oo7mx3f
    @user-mg4oo7mx3f 3 месяца назад +1

    急行桜島の食堂車はこの改正で外されています。また寝台特急電車きりしまは廃止というよりもなはに改称されたと言う方が正しいですね!

  • @user-rc3gh1ch6k
    @user-rc3gh1ch6k 4 месяца назад +1

    臨時のしおじ52、53号は、結局これが最後の昼行客車特急だったのかな。

  • @user-mg4oo7mx3f
    @user-mg4oo7mx3f 3 месяца назад

    特急みどりの愛称が復活したのは76年の間違いです。また急行安芸には、ビュッフェ車のサハシ153型は連結されていますが、休止です。

  • @user-jp2xx1vc6g
    @user-jp2xx1vc6g Год назад +13

    普通、快速、急行、特急、なんとも贅沢な時刻表ですね。しかも広島方面ゆき始発の特急「あさかぜ1号」から、終電、といえるのかどうか分かりませんが、急行「やえがき」まで、1時間も間が無い、まさに24時間フル回転だったんですね。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +6

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      ここまで優等列車が頻回に運転されていることが驚きですね。
      24時間休みなく人の往来がある、重要な拠点駅だったことが時刻表からも伝わってきますね。
      「やえがき」のユニークな運転経路、乗車率はどのようなものだったか気になりますね。

    • @TSUYOS185
      @TSUYOS185 Год назад +4

      各地から出雲大社参拝という需要があったのでしょうね。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +3

      返信ありがとうございます。
      出雲大社参拝ですか、確かにそうですね。当時の「参拝」することの位置づけが大きかったことがわかりますね。

    • @asakazefuji
      @asakazefuji Год назад +1

      深夜時間帯は岡山駅だと荷物列車・郵便列車の発着があったと思われ
      おそらくはホントにフル稼働していたと考えられます
      今回の時刻は下りのみ、上りだと関西圏に朝着く列車が岡山を2~3時頃通過していたと考えられますし。

  • @user-mg4oo7mx3f
    @user-mg4oo7mx3f 3 месяца назад +1

    特急つばめと特急はとに欠番がありますが、この年のゴールデンウィークに485系の新造車両が入り欠番が埋まっています。ちなみにはとは181系ではと3号だけが485系です。でもはとの全列車は、47年10月ダイヤ改正までには485系に置き換わっています。そして、48年5月には、特急しおじから181系が撤退して山陽路から消えました。

  • @user-kn5eh7rr6v
    @user-kn5eh7rr6v Год назад +8

    動画ありがとうございます。懐かしいですね。これ以外にも伯備線に向かう列車や貨物列車があったことを考えると線路容量ギリギリですね。保守が大変だったと思います。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +3

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      仰る通り、昼夜問わず列車が走行しているということは、それを支える作業も大変ということですもんね。経費がかかっていたことがわかりますね。

  • @yoshki44
    @yoshki44 Год назад +7

    おお。ありがとうございます。
    これだけ豊富であれば、確かに今のような在来線のホームは必要ですね。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +3

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      現在、ホームの多さを不思議に思ってしまう駅が日本各地にありますが、昔の時刻表を見ると納得することが多いですね。

  • @user-fz4qk1mj2z
    @user-fz4qk1mj2z Год назад +3

    急行「長州」は、東京始発の季節列車で、主に「167系」(「165系」の修学旅行専用仕様)が使われていました。

  • @ytanaka257
    @ytanaka257 Год назад +7

    行き先が色々あって高速バスみたい

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +2

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      高速バスのように様々な地方に向けて優等列車が設定されていたことがよくわかりますね。

  • @yamayuki
    @yamayuki Год назад +5

    確かに在来線の特急、急行は一部を除き、岡山駅発着になってしまったのですね。お約束の「きりしま」は食堂車連結の特急に格上げで京都発着と短縮され、「きりしま」という列車の歴史の一端を知ることができました。また憧れだった寝台特急「月光」も岡山駅発着となり、大阪で見ることができなくなった一抹の寂しさを覚えています。山陽新幹線の全線開通でここの大半の特急、急行列車が廃止されてしまいましたが、その最後の輝きをここで知ることができて、本当に良かったと思います。UP、ありがとうございました!

    • @TSUYOS185
      @TSUYOS185 Год назад +2

      東京から鹿児島への急行はこの少し前に「桜島」に変わっていました。どちらも鹿児島を代表する観光地ですね。
      きりしまは新設された寝台特急に個人昇格しました。
      博多開業でどちらもなくなったものの桜島は鹿児島と福岡の高速バス、きりしまは近くを走る特急として歴史を今に伝えております。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +2

      いつもご視聴とコメントありがとうございます。
      九州とのつながりを担う、在来線優等列車達の最後の輝きですね。現在でも残る列車の名称がどのような歴史を持っているかを感じることができて、動画作成時に大変感慨深かったです。

    • @kataakeo7730
      @kataakeo7730 Год назад +2

      @@tomoyankun 寝台特急きりしま(京都~西鹿児島)は昭和50年に廃止されたとのことですが、実は京都~西鹿児島間寝台電車特急は明星に統合されたはず。その後、この京都発の寝台特急が「なは」に変わるという不思議な変遷をしたようです。

    • @maruhiroya417
      @maruhiroya417 Год назад +1

      @@kataakeo7730
      博多延長の際に鹿児島線の夜行特急は明星に統合されて日豊線以外のブルトレの総称だったあかつきは長崎&佐世保線のみになりました、73・10でつばめが西鹿児島へ延長された際はなはに組み込む事も考えられてたらしいです。(みどりでされてた処置)

  • @user-jd8fl1ur6o
    @user-jd8fl1ur6o Год назад +8

    この頃の夜行の客車急行には、食堂車を連結していたと思います。
    この年の11月に起きた「北陸トンネル列車火災事故」で、食堂車を外している。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +4

      いつもご視聴とコメントありがとうございます。
      そうなんですね。時刻表では「食堂車」の記載がなかったのですが、実際は連結していることもあったのでしょうね。「急行」に食堂車が連結されていることは、現在から考えると贅沢な話ですね。堪能したかったです。

    • @TSUYOS185
      @TSUYOS185 Год назад +5

      この頃になると食堂運営に携わる方を新幹線や特急列車に振り向けたり急行用の客車が古くなってきたので急行の食堂車はほとんど連結されなくなったようです。東京や大阪から鹿児島方面ですら連結されなくなりました。
      長時間をずっと車内の座席だけで過ごすのは大変だったこととは思います。
      それでも車内販売は行われ、さらには駅ではお弁当の立ち売り等もあって便利であったものとは思います。
      半世紀後には車内販売すらなくなり乗る前にコンビニで買うという時代になるとは。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +2

      返信ありがとうございます。
      食堂車の運営を行う設備や人員面での不足が生じてきたということですね。今では車内販売はおろか、自動販売機ですら撤去されつつありますね。時代とともに乗車スタイルが変わったとはいえ、少し寂しいですね。

    • @user-fz4qk1mj2z
      @user-fz4qk1mj2z Год назад +1

      ​@@tomoyankun 今では、新幹線でも車内販売を辞めているケース(東北・秋田・九州新幹線等)もありますからね。

    • @maruhiroya417
      @maruhiroya417 Год назад +3

      ​@@TSUYOS185
      北陸トンネルの事故は止めになりましたね。

  • @user-gp4tm9ni3j
    @user-gp4tm9ni3j Год назад +7

    午前4時台に3車連続寝台特急あさかぜ
    走るホテルブルートレインのパイオニア
    東京発のブルートレインはスター揃いの人気特急でその一角を担った名車

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +2

      いつもご視聴とコメントありがとうございます。
      豪華編成で有名な「あさかぜ」、一度乗ってみたかったです。
      また、岡山駅は通過してしまっていますが、東京発の列車はどれも豪華ですね。

  • @user-gp4tm9ni3j
    @user-gp4tm9ni3j Год назад +8

    日本鉄道100周年
    新幹線岡山延伸
    山陽路の特急急行は岡山始発になるも山陽路の賑わいは衰えはなかった
    新幹線連絡列車として3年は九州各地に走破した程、西の鉄道の拠点となった

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +2

      いつもご視聴とコメントありがとうございます。
      岡山駅が山陰、四国に加え、九州地方への拠点としてにぎやかであったことが嬉しいですね。貴重な時刻表だと思います。

  • @Canna77
    @Canna77 Год назад +1

    お疲れ様です。作成ありがとうございます。新幹線岡山開業直前との比較が見たくなりました。

    • @kataakeo7730
      @kataakeo7730 Год назад +1

      山陽本線下り(下関方面)は、岡山始発の特急急行が新設されただけで、それ以前は大阪・新大阪始発だった程度ではないかと思います。

    • @Canna77
      @Canna77 Год назад

      レスありがとうございます。備後という名の列車に乗った記憶があるのですが!もしかしたら記憶違いかもしれません。また、相生を暗い時間に乗車した記憶もあります列車名などは思い出せませんけど。まあ就学前のですから。また、赤穂線と呉線を回り乗り換えなしの列車もあったかもしれません。山陽線黄金時代ですね。急行雲仙・西海、急行阿蘇・国東は70年代後半にあって九州方面の移動に乗車しました。設定が新しいのですね。懐かしい思い出です。

    • @kataakeo7730
      @kataakeo7730 Год назад +1

      @@Canna77 調べてみると、「備後」ではなく、ひらがなの「びんご」という準急は1961年誕生し、1966年に急行に昇格。しかし、1968年、従前の2往復を4往復に増発した上で「とも」に名称変更したようです。おそらく、ご指摘の通り、1972年改正で急行「とも」はなくなったようです。
      「びんご」→「とも」は大阪(一部京都)発三原行(但し、いずれも山陽本線経由で赤穂線経由ではありません。)という若干中途半端な行先でした。広島まで延長して急行「山陽」に実質的に統合されたのかもしれません。

    • @Canna77
      @Canna77 Год назад

      ありがとうございます。三原で乗り換えた記憶があり、三原発の上りがあったような。(反対側の扉を開けて折り返し準備しており、親から注意喚起されたような気がします。)もう随分昔のことなので!懐かしいです。赤穂線経由、呉線経由の列車はびんごではなく別の名前だったと思います。きびかなあ?なにぶん幼い頃の記憶ですので!ちょくちょく動画拝見しております。今後も楽しみにしております。

    • @kataakeo7730
      @kataakeo7730 Год назад +1

      急行雲仙西海は昭和20年代からあった東京~長崎(雲仙)、東京~佐世保(西海)間を結んでいた夜行急行ですが、1968年に廃止されたようです。
      急行阿蘇も昭和20年代からあり、当初は東京~熊本(一時期博多止まりだった時期もあり)でしたが、昭和30年代に名古屋~熊本になり、昭和50年改正で新大阪~熊本に短縮され、昭和55年まであったそうです。
      急行「くにさき」は昭和34年、京都~大分間の夜行急行として誕生しましたが、1年程で宮崎行「日向」に延長・改称されて消滅。昭和50年に大阪~大分間の夜行急行として復活しますが、5年程で廃止されました。

  • @あずみん-v4t
    @あずみん-v4t Год назад +4

    桜島高千穂が走っていたのにびっくりしました。明石駅で屋久島を見ましたけど当時の客車は旧型なのを覚えています。急行列車も沢山あって周遊券を利用できますね。今は新幹線ばかりなので複雑に思います

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      当時は鉄道での移動では、選択肢が多くて色々な経路を考えることができて楽しかったですね。今は速く移動できるようになりましたが、鉄道好きからすると少し寂しい感じがします。

    • @user-fz4qk1mj2z
      @user-fz4qk1mj2z Год назад

      あずみんさん
      「屋久島」は、元々不定期列車だったので、いろんな所からかき集めた「オハ」「スハ」「オハフ」「スハフ」等の旧客が使われていたようですね、後多客臨時の「しおじ52号」が気になりますね。

    • @maruhiroya417
      @maruhiroya417 Год назад +1

      @@user-fz4qk1mj2z
      しおじ52号は14系座席車でしたね、奥羽線の臨時つばさもそうでした。

    • @user-fz4qk1mj2z
      @user-fz4qk1mj2z Год назад

      @@maruhiroya417 さん
      奥羽線で言えば、臨時「おが」は、寝台特急から退役した20系でしたね、当時「大阪万博」の臨時列車用に「12系」「14系座席車」が、宮原・向日町に大量配置されていますね。

    • @kataakeo7730
      @kataakeo7730 Год назад +1

      やっぱり、鉄道旅行が楽しかったのは、昭和40年代から平成に入る頃までだったのでしょうね。
      赤字線の廃止と整備新幹線の開業・並行在来線の第3セクター化、そして地方の高速道整備に伴う高速バスとの競争激化により、鉄道旅行の面白さがだいぶんなくなってしまいましたね。

  • @kataakeo7730
    @kataakeo7730 Год назад +3

    力作、ありがとうございました。
    ところで、数多くの特急・急行が走っておりますが、必ずしも岡山始発ばかりではなく、大阪・新大阪・京都・名古屋始発のものも多数混ざっているようですね(夜行に至っては、東京始発のものも)。

    • @kataakeo7730
      @kataakeo7730 Год назад +2

      話は変わりますが、このころの岡山駅はほぼ不夜城状態だったようですが、これは宇高連絡船が深夜も運行されていたこととも関係があるのでしょうね。
      瀬戸大橋が開業した後、90年頃、深夜に岡山駅で途中下車したことがありました(乗り換えだったか、夜行鈍行の長時間停泊かのいずれかだったと思います)。
      そのとき、岡山駅前では深夜営業(たぶんオールナイト営業)のうどん屋や喫茶店がいくつも営業していて驚いた記憶があります。おそらく岡山駅が不夜城状態だった影響でしょうね。今はもう営業していないかもしれませんが。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      いつもご視聴とコメントありがとうございます。
      また、嬉しいお言葉ありがとうございます。
      宇野線は休みなく運転されていますね。需要が多かったことがわかりますね。
      仰る通り、すべてが岡山駅始発ではありませんでした。概ね3割~4割程度の列車が岡山駅始発であった印象です。
      調べてみますと、現在でも深夜営業しているうどん屋さんがありますね。当時の面影を残しているのであれば、歴史を感じられていいですね。

    • @kataakeo7730
      @kataakeo7730 Год назад +1

      @@tomoyankun 調べてみましたが、1972の新幹線岡山開業時に岡山始発になった特急は、つばめ(博多など鹿児島本線行)・はと(下関行)・月光(九州方面寝台特急)くらいでしょう。
      急行山陽(下関・広島行)も岡山始発でした。
      それ以外の多くの特急急行は京都・新大阪・大阪発で、中には名古屋発(急行玄海、急行阿蘇)もあります。
      寝台特急急行の中には、東京発もあります(急行長州、急行高千穂、急行桜島)。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      調べていただいた上に、わかりやすくまとめていただきありがとうございます。
      いただいたコメントを見てみると、やはり大阪、名古屋、東京発が中心であったことがわかりますね。どれも素晴らしい名称の列車達ですね。

    • @kataakeo7730
      @kataakeo7730 Год назад +2

      @@tomoyankun それにしても、下関行の特急急行が多いですが、下関に行く需要がそんなに多かったのでしょうか?
      単に広島止まりだと山口県内に出かける人たちにとって不便だったからなのか、実は北九州市に行く人が多いものの、交直流の壁があるため、下関止まりにしていたからなのでしょうか?

  • @jops-tv4202
    @jops-tv4202 Год назад +1

    1972年当時は新幹線が岡山まで延伸となり、岡山発着の特急・急行列車が多かったようですね。もっとも博多開業時にはその殆どが廃止されたのが惜しまれますが……。
    それにしても一部の寝台特急を除き、かなりの夜行列車が発着していたのがスゴいですね。その中には急行「天草」や「やえがき」のような変わった経路を運行する列車があったのにはびっくりです。

    • @user-fz4qk1mj2z
      @user-fz4qk1mj2z Год назад +1

      「天草」は、門司から黒崎で短絡線で筑豊線に入り、原田(はるだ)から再び鹿児島線に入るというネタのような経路でしたね。

  • @chibita-32
    @chibita-32 Год назад +2

    あさかぜが3本って豪華な組合せですね。普通や快速が80系!憧れの時代でした。この時期の特急や急行には多数乗車しました。しおじ51号は定期列車と同じ車両でした。しおじ52号53号は時間は良かったのですが?12系だったのが嫌でした。前年の音戸は急行なので辛抱できました。広島に行く時はしおじ号で、小倉に行く時はかもめ号か?なは日向号で行き帰りは明星号で帰るのが多かったですね。父親が新幹線の乗継を嫌がったのでこうなりました。前年のしおじ72号は581系なので好きでした。懐かしい時刻をありがとうございました😊

  • @a378685085
    @a378685085 Год назад +1

    つばめ号の列車番号が20番台
    はと号の列車番号が1030番台
    しおじ号の列車番号が1010番台
    山陽新幹線岡山開業でつばめ・はとはローカル色が濃くなった感じですね。
    一方で登場当初は客急と大差ない編成、一時期は201レとローカル急行同等の列車番号だったかもめ号はサンロクトオから山陽新幹線博多開業まで"京都発着"かつ"1Dか3Dの列車番号"と"最低でも山陽本線内全席指定"と長大特急の格を保ち続けてました。
    時刻表鉄としてはかもめ号の黄金期はサンロクトオから山陽新幹線博多開業までだと思ってます。
    JTBの復刻時刻表シリーズで一番見たいのは山陽新幹線岡山開業号と博多開業直前号です。

    • @maruhiroya417
      @maruhiroya417 Год назад +2

      東海道時代は速さをアピールする意味だったつばめの名称はこの頃になると南国九州への渡り鳥的意味に変わったと思います。

  • @123chan69ify
    @123chan69ify Год назад +1

    この時代といえば、やっぱり『月光』ですよね。両親の田舎が広島で広島に着く時刻が遅いので乗ったことは無いと思うのですが、なぜか『月光』の名前と車両だけは覚えてました。『しおじ』の名前は忘れてましたが、ボンネット型の先頭車と屋根のキノコ型のクーラーだけはハッキリ覚えてます。新幹線は乗り換えが面倒なので、当時は『あさかぜ』によく乗せられてましたわ。憧れの特急型電車『月光』に乗って見たかったわ。

  • @TSUYOS185
    @TSUYOS185 Год назад +16

    岡山駅が山陽や九州方面への玄関口として機能していた時代ですね。一日中列車があることはお客様にとって安心感を与えるものではありますね。
    これだけの本数を昼夜なく捌くとなると施設や車両のメンテが相当大変だったことと思います。
    昼夜関係なく車両をフル回転させた583系はこの線の功労者でした。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +4

      いつもご視聴とコメントありがとうございます。
      普通列車の本数は決して多くないですが、急行、特急と様々な列車が設定されており、利用者のニーズに配慮していたように思えます。
      583系は酷使されたこともあり、故障が多かったとも聞きますね。仰る通り、昼夜問わず利用客を目的地へと届け続けた功労者ですね。

    • @u4ss785
      @u4ss785 13 дней назад

      一時的とは言え数多くの新幹線・特急・急行の始発駅になっていたということは整備(車両・車内)が駅にとって過度の負担だったでしょうね。

  • @あずみん-v4t
    @あずみん-v4t Год назад +2

    是非ですが宮崎県の延岡駅か宮崎駅を扱ってください。高千穂線に乗ったことがありました。高千穂峡と夜神楽が印象深いですね。高千穂線も廃線になったので行くのが難しくなりましたね。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      高千穂線、今となっては大変貴重な経験ですね。高千穂峡の真名井の滝は一度見てみたいなと思います。
      延岡や宮崎駅も読んでいて面白い時刻表ですね。リクエストありがとうございます。

  • @SA-ey9md
    @SA-ey9md Год назад +6

    普通列車より特急・急行・快速が圧倒的多いですね。
    新幹線が掻っ攫っていった感じがします。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +2

      いつもご視聴とコメントありがとうございます。
      長距離輸送の中心的役割を、東海道本線・山陽本線系統の中で最後まで果たし続けた区間ですね。そう思いながら時刻表を読んでいると、大変感慨深いです。

  • @user-nv9qk4jh7n
    @user-nv9qk4jh7n Год назад +5

    銀河鉄道で云えば
    岡山は日本のトレーダー分岐点!
    伯備線吉備線赤穂線津山線
    本四連絡宇野線
    山陽上下線
    そして…山陽新幹線
    栄光と華麗に彩られた
    かの阿房列車内田百閒の故郷ですなあ~
    ただ時刻表で意外だったのは
    下関行き普通列車が一本も存在しないことです!
    近年までJR移行後も
    岡山〜下関の普通列車が存在したことを考えると
    より一層不思議さが際立ちますね~

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +2

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      まさしくトレーダー分岐点ですね。
      仰る通り、下関行き普通列車が存在していないことが意外ですね。どのような経緯で設定されたのかが気になります。

    • @user-fz4qk1mj2z
      @user-fz4qk1mj2z Год назад

      ​@@tomoyankun さん
      山陽線岡山以西の普通列車は、サボ(行き先表示)を見てもカオス過ぎて初見では分かりませんからね。

  • @alooga555
    @alooga555 Год назад +1

    これを観ていて子供のころに新幹線のビー玉落としゲームを持っていたことを、ふと思い出しました。まだ岡山が終点だったことを覚えています。(まだ持っていたら、メルカリあたりで売れてたかもしれませんね😅)

  • @user-rj5td9io6d
    @user-rj5td9io6d Год назад +3

    新幹線が開通したからには、普通と快速を充実してほしいですね。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      最近は快速列車(ラ・マルしまなみは除いて)も廃止されてしまい、バリエーションに乏しい時刻表になってしまいましたね。

  • @oriorihawaii
    @oriorihawaii Год назад +4

    このころのダイヤも面白いですが、1988年の瀬戸大橋開通後の岡山駅の四国方面のダイヤも見てみたいです。
    これだけの優等列車に貨物列車、郵便・荷物列車、そして普通列車が昼夜問わずひっきりなしに走っていたなんて、今の山陽本線からは想像出来ませんね…。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +2

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      瀬戸大橋開通後のダイヤも面白そうですね。開通直後の時刻表が手に入れば動画にしてみたいと思います。
      普通列車の本数は少ないですが、バリエーションに富んでおり線路沿いで眺めているだけでも楽しそうですね。

  • @masahatsu8920
    @masahatsu8920 Год назад +4

    ほぼ24時間フル稼働だったんですね…。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +2

      ご視聴とコメントありがとうございます。
      当時の岡山駅は24時間人の行き来の絶えない駅だったことが想像できますね。夜中、きっと駅周辺にも人の姿があったのでしょうね。

  • @ふぁびN
    @ふぁびN Год назад +1

    なはが昼行特急、かもめが佐世保にも行き、みどりが大分・・・
    しおじはともかく、「つくし」って・・・・(;'∀')
    動画にちらちら出てくる2枚窓の80系が大好きで、
    なぜ1両も残してくれなかったのかと、当時の国鉄を恨みます・・・。

    • @クモハ165
      @クモハ165 Год назад

      「つくし」は筑紫平野からでしょうな。(*´・∀・)

  • @ariku67
    @ariku67 Год назад +2

    この動画見て思い出しました。時代は全く違いますが。
    2006年の冬、博多へ行くときにあかつきを予約しました。
    久しぶりの夜行列車でウキウキしていたのに。それなのに下関駅が火災!
    あわてて翌日ののぞみを予約しました。
    みどりの窓口の職員さんが、「申し訳ありません。」いえいえ、あなたのせいではないですよ。
    今にして思えば500系ののぞみ、今はこだま。
    そういえば確か貨物列車の運転士さんが長い間、関門トンネルに閉じ込められたなぁ。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +1

      いつもご視聴とコメントありがとうございます。
      コメントで当時の下関駅の火災事件を思い出しました。あの時は大変驚いたのを覚えています。「あかつき」に乗れなかったのは残念ですが、500系のぞみに乗車できたのは良い経験でしたね。現在ではそのどちらも当時の状態のままで乗車することができないのは非常に残念です。

  • @sakura_ouka
    @sakura_ouka Год назад +5

    呉線の急行「安芸」広島行きが本線普通広島行きと所要時間ほぼ同じ…呉線経由は線形悪いし単線やから確かに時間かかるけど広島行く人は本線普通使うわ…

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +2

      いつもご視聴とコメントありがとうございます。
      仰る通りで、急行「安芸」で岡山から広島まで乗り通す人はいなかったでしょうね。

    • @TSUYOS185
      @TSUYOS185 Год назад +2

      ​​@@tomoyankunま
      呉は海上自衛隊の基地の一つであり、さらには工場なども多数存在することからその需要を満たすために急行列車が存在していました。

    • @tomoyankun
      @tomoyankun  Год назад +3

      返信ありがとうございます。
      当時の呉の状況について調べてみました。記事を読むと、大変活気があったことがわかって面白いですね。勉強になりました。

    • @user-fz4qk1mj2z
      @user-fz4qk1mj2z Год назад

      ​@@TSUYOS185 さん
      呉には、「ジャパンマリンユナイテッド」「日本製鉄(旧日新製鋼)「バブコック日立」等の事業所がありますね。

  • @user-pd1di9hs8m
    @user-pd1di9hs8m Год назад

    きぼう に あ ふれ とき には ま よい くじ け そう な とき はげ まして くれた よね